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北本自然観察公園 自然観察記録 2003年3月

2003年5月22日更新
                                           埼玉県自然学習センター



【2003年3月30日(日)】
○公園でエドヒガン、コブシに続いてフサザクラも咲き出しました。エドヒガンと同様に葉よりも先に花を付けます。花には花びらも萼もなく、長さ7oほどの線形で暗紅色の葯をたくさん付けた雄しべが垂れ下がるように付いており、雌しべも雄しべと同様に付いていて、雄しべも雌しべも房のように垂れ下がっているのでフサザクラといわれています。サクラの名が付いていますがエドヒガンなどのサクラとは無縁の植物で世界に1属3種、日本には1種のみが分布する原始的な植物です。サクラの名が付いていてサクラと無縁な植物は、フサザクラのほか高山に行くとツガザクラなどがあります。

【2003年3月29日(土)】
○公園のエドヒガンの花が早くも満開を迎えています。サクラといえば花見を指すように、昔から桜の花の下での宴会が日本人の間では年中行事のように行われています。この花見の行事は奈良時代の宮中の花宴まで約千年余りもさかのぼるといわれています。当時の花宴のサクラはヤマザクラで、現在のサクラの代表であるソメイヨシノとはだいぶ趣が違っていたと思われます。サクラの花の美しさを鑑賞しながら飲み食いするのが花見ですが、本心は「花より団子」かも知れません。「木のもとに汁も膾(なます)も桜かな 芭蕉」

【2003年3月28日(金)】
○雑木林の春の目覚めを告げるコブシの花が、今年もエドヒガンのそばで、白い雲を小さくちぎって浮かせたみたいに6弁の細長い花びらを天に向かって咲かせています。コブシは日本原産の植物で、花を沢山咲かせた年は豊作になるといわれ農事の豊凶の占いや、花が咲くと稲の種をまくと言った農事暦にも使われていました。詩人の三好達治はコブシが天に向かって花を咲かせている特徴をとらえて「山なみ遠に春はきて こぶしの花は天上に〜」と詠っています。

【2003年3月27日(木)】
○ロゼットで冬の寒さをやり過ごしていたタネツケバナが、木道脇で15pぐらい茎を伸ばして、枝の先に直経4o前後の十字型の白い小さな花を、総状花序(そうじょうかじょ)に咲かせています。この植物は名前の通り米の種籾を水に漬ける時季に咲くことから、この花が咲けば苗代の準備をするという農作業の目安にされた農事暦の花として、江戸時代の貝原益軒の「大和本草」にも記載されています。

【2003年3月26日(水)】
○公園の中で今シーズン始めて2月7日にニホンアカガエルの卵塊を3個見いだしてから、今日新たに60個の卵塊が見つかり、一月半の間に約163個のニホンアカガルの卵塊が見つかりました。すでにオタマジャクシが飛び出している卵塊もありますが、平野部に棲むカエルの中で早くから繁殖期を迎え、雨が降った日やその翌日に卵を産みます。湿地と雑木林がないと生きられないカエルで、都市周辺で急速に棲息範囲を狭めているカエルの一種です。

【2003年3月25日(火)】
○公園の人気者の北本市の天然記念物のエドヒガンがやっと花を咲かせだしました。去年は史上最も早い3月13日の開花でしたが、今年は去年よりも10日以上も遅れての開花で、今週末の29日30日の土日はサクラ見物が楽しめるものと思われます。
○一般に彼岸桜と呼ばれている早咲きのサクラは、花は小さいですが長命で、山梨県武川村の山高神代桜や岐阜県根尾の淡墨桜など千年以上の寿命を保つものもあり、天然記念物に指定されているサクラの大部分はこのエドヒガンです。別名ウバザクラといわれていますが、エドヒガンは花が咲いたあと葉が出るため、歯が抜けてしまってもなお美しさが残っている女性にたとえて、花の時期に葉(歯)がないと洒落て名付けたものと思われます。「桜ばないのち一ぱい咲くからに生命をかけてわが眺めたり 岡本かの子」

【2003年3月23日(日)】
○今日は県内自然学習関連施設連絡協議会の共同イベント、荒川たんけん隊「荒川中流域を歩く」の日です。コースは自然学習センターから園内のエドヒガンを見て荒川ビオトープ、東光寺の蒲ザクラ、芭蕉句碑、原山古墳群、太郎右衛門橋の手前を入って桶川の城山公園までの約6qの行程です。エドヒガンなどのサクラはまだ咲いていなかったものの、春のうららかな日差しを受けて18名の参加を得ました。オオイヌノフグリ、ホトケノザ、ヒメオドリコソウ、ナズナなどは全コースの至る所で咲いており、その他ショカッサイ、タチツボスミレ、ハコベ、ナノハナ、ウメの花、園内ではシジュウカラ、畑に出ればヒバリ、太郎右衛門橋の付近ではウグイスのさえずり、それに冬から目覚めたテングチョウやキタテハなども見ることができました。

【2003年3月22日(土)】
○公園の園路端などでタチツボスミレが淡紫色の5弁の花を立ち上げています。タチツボスミレは里山で最も普通に見られるスミレの種類で、スミレが無茎種の代表とすればタチツボスミレは有茎種の代表です。少しばかり草が生い茂っても茎が長く伸びるので、隙間から茎を伸ばし花を咲かせます。一般にスミレの仲間は春の花の季節が終わると、それ以後は花を咲かせない閉鎖花によって自家受粉して種を作ります。スミレの種にはアリの好む膨らんだ部分があるので、アリによっていろんな所に種が運ばれます。「かたまつて薄き光の菫かな 渡辺水巴」

【2003年3月21日(金)】
○シュンランがセンター前庭のクスノキの下で、清楚な淡い緑に紅を含んだ可憐な花を咲かせています。昔は身近な雑木林に入ればどこにでもあったありふれた野生のランでしたが、今ではまったく影をひそめてしまいました。この公園にもかつてはあちらこちらの雑木林の木漏れ陽の中で見かけましたが、今ではほとんど見ることができなくなってしまった植物です。花の中心部の唇弁(しんべん)にある斑点をホクロに見立てて牧野富太郎はこのシュンランを「ホクロ」と命名しています。

【2003年3月20日(木)】
○羽音が聞こえるほどのセイヨウミツバチの大群が、満開になった梅の花やその下に生えているオオイヌノフグリの蜜や花粉を集めにきています。ミツバチの生態について判るようになったのは大部分が戦後で、それまではミツバチに刺されると血がきれいになり筋肉リューマチが直るとか、ミツバチは花から蜜を集めるのではなく大気から集めるとか、ミツバチが蜜を吸った花はエキスを吸い取られてしまうため、実が出来ないなどと信じられていました。

【2003年3月19日(水)】
○ウグイスの初音が去年よりも10日以上遅れて聞かれました。ウグイスについては以下のようなことが伝えられています。元禄の頃、京都から上野の東叡山寛永寺の住持となった公弁法親王が京のウグイスの美しい鳴き声を恋しがり、尾形光琳の弟の乾山に命じて京都からウグイスを三千五百羽取り寄せ、根岸の里(鶯谷駅付近)に放しました。このため根岸の里のウグイスは京の澄んだ美しい鳴き声を覚え、江戸を代表するウグイスの名所になり、初音の里という名称も生まれ今でも鶯谷という駅名が残されたといいます。「うぐひすの鳴く野辺ごとに来て見ればうつろふ花に風ぞ吹きける 読人知らず 古今和歌集」

【2003年3月18日(火)】
○ヒヨドリが、開出したばかりの樹木の新芽をさかんに啄んでいました。ヒヨドリは花や蜜、実,葉菜類など様々なものを食べる大食漢で、野菜などを集団で食い荒らすので農家からは嫌われています。この鳥は、以前は冬の渡り鳥として山間部から都市に来ていた鳥でしたが、20年ぐらい前から大部分のヒヨドリが渡りをやめて、都市やその周辺に住みつくようになっています。源義経が一ノ谷の平家の軍を襲撃しようとして、谷深い「ひよどり越え」という難所を越えましたが、この谷はヒヨドリの渡りの場所なので「ひよどり越え」と名付けられていたといわれています。

【2003年3月16日(日)】
○冬の間放射状に拡げた葉をロゼットにして寒風をやり過ごしていた春の七草のナズナが、10pぐらい茎を伸ばし頭上に多数の白い十字形の小さな花を咲かせています。古くから冬のビタミン補給として食べられ、若菜が撫でるほどかわいい菜ということで、「撫づ菜」といわれています。しかし、昔のわら屋根に良く茂り貧乏の象徴として嫌われるようになると名前もペンペン草に変わります。ペンペン草の名は実が三味線のバチに似ているので付いた名前で、蕪村の「妹が垣根三味線草の花咲きぬ」の句が知られています。

【2003年3月15日(土)】
○今日は「里山ボランティア」の第5回、今年度の最終回でした。午前中の天気が悪かったため、午前・午後の予定を入れ替え、午前中に、第3回の時に雑木林の更新のために伐採したコナラの木を利用してシイタケの種ごま打ち、午後はコナラとクヌギの植栽をしました。里山の景観を維持し、かつ、在来の生き物の多様性を守るための「里山ボランティア」でしたが、主催者側が考えた以上に作業がはかどりました。御協力をいただき誠にありがとうございます。なお、15年度も11月から再開の予定です。ぜひご参加ください。

【2003年3月14日(金)】
○春の七草の筆頭のセリが公園の湿地の至る所に緑の葉を繁らせてきました。万葉の時代から春の若菜を野に出て摘む伝統的習慣が日本にはあり、セリの若菜は香りも良いことから古くから摘まれ、食用にされてきた数少ない日本固有種の野菜です。また、セリの若菜がたくさん出る様子が競争しているように見えることから「競り」と名付けられたといわれています。セリ科の植物にはニンジン、パセリ、セロリ、ミツバなど個性豊かな野菜が多くあります。
○なお、湿地が乾燥化したり他の植物を傷つけたりするため、公園内の湿地での「セリ摘み」はご遠慮ください。

【2003年3月13日(木)】
○今日から4月3日(木)まで、「野生生物写真展」をセンターで開催しています。県内で撮影された野生生物の写真を募集したところ、56作品の応募がありました。
応募された作品は撮影データ(公開できる人のみ)を付けて展示しています。いずれの作品からも刻々と変わる自然の中で、撮影した人が心を躍らせてシャッターを切ったことが伝わる力作ばかりですので、県民の皆様の御来館をお待ちしています。

【2003年3月12日(水)】
○第2回目のサクラ(ソメイヨシノ)の開花予想が気象庁から発表になりました。第1回の予想よりも2日から3日開花が遅れるとのことです。サクラは前年の夏頃、翌年咲く花芽が作られそのまま休眠に入ります。そして冬の低温に一定期間さらされると休眠していた花芽が目を覚まし、その後の気温の上昇と共に成長し花を咲かせます。公園のエドヒガンは花芽がふくらみわずかにピンクの花の色が見えていますがまだ硬いです。お彼岸頃には咲き出すと予想していましたが若干遅れ気味になっています。

【2003年3月11日(火)】
○余り見栄えはしませんが、ヒメオドリコソウの花が、オオイヌノフグリやホトケノザと競うように公園で咲き出しました。ヨーロッパ原産の帰化植物ですが、昔から日本に生えているオドリコソウに似ているが小さいので、小さいを意味する「ヒメ」を頭に付けてヒメオドリコソウと名付けられています。上部の葉は密集して日当たりでは赤紫色を帯びていますが、なぜかこの部分がほこりっぽい感じがします。

【2003年3月9日(日)】
○園内の梅林の花が、美しく咲いて香りをただよわせています。この公園のウメの花は白梅で、梅の実を採るために近隣の農家の人が植えたものと思われます。「万葉集」ではハギに次いで2番目に多く詠われており、万葉の時代のウメは外来文化の象徴であり、律令貴族の憧れの花でした。また、ウメの詩は中国では実を食用として味わっていることに関する詩が多いのに比べて、日本ではウメの花を鑑賞し、花そのものの美しさを詠っています。西暦943年頃紫宸殿の庭の正面に植えられていた左近のウメがサクラに替えられましたが、その後もウメの花は香りと共に日本人に愛され続けました。「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をもしる人ぞしる 紀友則」

【2003年3月8日(土)】
○ベニマシコが、芽が出てきたばかりのタチヤナギの新芽をさかんに啄んでいました。この公園の湿地に生えるヤナギは、タチヤナギとイヌコリヤナギ、アカメヤナギ、オノエヤナギの4種類です。今、芽を吹いているのはタチヤナギとイヌコリヤナギで、共に白い綿毛に包まれていますが、イヌコリヤナギの方が派手な綿毛なので区別は容易につきます。また、イヌコリヤナギの名前は、「行李柳」に似ていますが役に立たない行李柳という意味です。

【2003年3月7日(金)】
○気象庁の今年のサクラ(ソメイヨシノ)の開花予想が発表されました。昨年よりも遅いものの平年より2日から8日早く咲きそうだということで、熊谷地方は昨年よりも8日遅いが平年よりも6日早く、25日と開花を予想しています。この公園のエドヒガンはソメイヨシノよりも数日早く咲くので、予想のとおりであればお彼岸頃には開花するものと思われます。またサクラが満開になるには、咲き出してから5日から7日ぐらいかかります。

【2003年3月6日(木)】
○今日は曇り空で肌寒く夜には雪が降るとの予報が出ていますが、二十四節気の一つの「啓蟄」です。啓は「ひらく」こと、蟄は「冬ごもりする」ことを意味し、冬眠していた虫が動き出す頃ということです。しかし、虫が動き出すには日の平均気温が10度にぐらいにならないと活発には動けません。公園で冬眠中のキチョウやキタテハ、アカタテハ、ウラギンシジミ、ナナホシテントウなどは今日は見あたりませんが、ニホンアカガエルの卵は一部で孵化していました。去年の春の訪れが早かったせいか今年の春は遅く感じます。

【2003年3月5日(水)】
○広い湿地の中洲で薄い褐色に見える場所があるので双眼鏡でのぞいてみたところ、直立したコウヤワラビの胞子葉の群落が見え、胞子葉には熟して褐色になった多数の球形の胞子嚢が付いていました。コウヤワラビは水田の畦や水辺の湿った場所を好むシダ植物で、根茎は細長く地中を横に這います。コウヤワラビのコウヤとは弘法大師が開基した和歌山県の高野山のことで、高野山に産するワラビという意味です。他にコウヤボウキも秋になると公園で白い花を付けます。

【2003年3月4日(火)】
○昨日関東地方に「春一番」が吹きましたが、今日は一転して北風が吹いて寒い一日となっています。「春一番」とは、もともと九州の壱岐地方の漁師言葉で、安政6年に壱岐の五島沖に出漁した漁師が春の強い突風に遭い、多数の人が遭難死したため、この時吹いた強い南風を壱岐地方では「春一番」と言っていました。昭和30年代に「春一番」ということばの持つ明るい響きなどがうけて報道用語として使われだし、今では立春後はじめて吹く強い南寄りの風を「春一番」と呼ぶようになりました。

【2003年3月1日(土)】
○咲き出した数本のウメの花の花粉を集めにニホンミツバチが活動をはじめています。ミツバチは、動きは鈍くなりますが他の昆虫と違って冬眠しないでじっとかたまって夏の間巣内に蓄えた蜜を少しずつ食べながら冬を過ごします。真冬でも巣の中心部は20度ぐらいの温度を保っているといわれ、外側のミツバチと内側のミツバチが時々交代しながら体を寄せ合って、巣の中の熱を逃がさないようしています。しかし冬を越すことはミツバチにとっても容易なことではなく、3分の1ぐらいのミツバチは冬の寒さのため凍え死んでしまうといわれています。

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